まくる

F市から上京して江戸でキョドッてる1人の物語

お互いに理解しようと思える人間こそが、これからの社会に求められる人間なのではないだろうかという謎の持論を書き綴ってみた。

こんばんは〜〜

 

 

なぜか、眠れないので

日々思っていることを書きます。

 

 

ふと、Facebookを見てみると

今、世間を賑わしている

D通社の過労死問題が議論されていた。

 

非常にセンシティブな問題だと個人的に思っていて

なぜなら

人が死んでいるのである。

 

死んでしまっては

もう、何も意見を交わすことも

本人の意思も確認できない。

 

まだまだ、明らかになっていないことがあると

思うが、この問題に関して

ニュースピックスで炎上した教授と、同じような意見として

働きすぎてツライことを上司に何も言わなかったほうが悪いと

主張を述べる女性がいたのである。

 

私自身、それは驚きはしない。

会社が悪いのか、本人が悪いのか

判断材料の少ない中で色々な意見が飛び交うのは

当然のことだろう。

 

しかしながら、私が

残念だなと思ったのは

そのFacebookの投稿から

意見が違う人間が現れてからの

やりとりである。

 

その女性だけでなく、その投稿にコメントをしたものも残念だと感じた。

 

もはや、公共の場とも言っていい媒体で

お互いを理解しようとしない

コメントの投げ合い。誹謗中傷のあらし。

 

この行為になんの意味があるのだろうか。

そのやり取りを色々な方々に見られているということに思考がいたらないのだろうか。

 

改めて、今回の

事件を例に話を展開してみたが

つまるところ、正解のない問いが世の中にあるなかで、互いを貶しながらの議論は

なんの価値もないし、ただただ争いを生むだけだ。

 

互いに、受け入れがたい主張は

あるかもしれないが、

まずは、なぜそういった思考、発言に

なぜ至ったのか

相手の立場になって考える力を身につけるべきではないか?

そうすることによって、冷静に議論ができ

誰もが納得する解に近づけるのだと思う。

 

 

これが絶対なる正解だ!

というものは、限りなくないと個人的には思います。

 

しいていうなら

時間は止まらないってことくらいじゃないですか

絶対って。笑

 

だから、他者を理解すること、つまり思考を止めないでほしい。

常に相手の意見がどういった理由で

出てきているのか。

相手の立場で考えられる人間にであり

互いが幸せになる議論をし続けていくことが

これからの時代の人間に求められる資質なのではないでしょうか?

 

むしろ、これからではなく遥か昔から求められていることでしょう。

 

 

P.S.

こうなってくると

ガンダムとかに出てくる話がリアルに感じられるんですよねぇ。

 

 

やっぱり、かきまくり

なんども

 

なんども

 

なんども

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これで何度目でしょうか!

くらいのブログやります宣言です。笑

 

 

いや、今度こそ

これは続けられるのではないかと。

思っておりますので

頑張ってかきまくります*\(^o^)/*

 

まずは、美容室の店員さんに

しっかり自分の意思を伝えられるくらいには

文章力を高めたいと思いますので

 

 

いつか、凄いブログになることを

夢見て

 

 

サクッとですが

今回の記事を早々と締めたいと思います。

 

 

なんか、方向性として

ジャンルは固定せず色々自由に書きたいな。

 

 

 

ではではー。f:id:eg3046n:20161002015405j:image